ウオップパラダイス: 5月 2022

2022年5月29日日曜日

慶應大学構内のカフェで『ディスタンクシオン』を読みはじめる


と思ったけど、カフェは勉強する若い人たちで

満席。休日はダメだな。

なので、隣の陸上競技場のベンチに移動。

分厚い本を取り出し、ずしっとした重量感、

手触りをあじわう。紙の本ならではの充溢感、

興奮。表紙をなでるてのひらにすこし汗が

滲みでる。


本書を読む前に、著者特有の用語・概念をあら

わすキーワードについての説明。

卓越化 distinction

他者から自分を区別してきわだたせること。これ

が階級分化と既成階級構造の維持の基本原理とな

る。


そうそう、ここにすべて言い表されている。 

きわだっているのは、慶應大学生。階級文化の

下層にいるのが、わたし。

この階層はいかにして成立しているのかを考察

探究し、あわよくば階層の壁をぶち破り、上層

階級へのみちを見出せないものかといういやら

しくも正直な気持ちと向きあう。

これがこの場所で『ディスタンクシオン』を読む

意味である。

そのほか、『ディスタンクシオン』といえばコレ

というハビトゥスなどの説明を読み、本文に入っ

てゆく。


まず、文化的財の消費者とその趣味が生みだされ

る諸条件を明らかにするなど、さすが学術書なら

ではの厳密で緻密な文章が連ねられ、文中の原注

1,2 とあるのを後ろの注釈一覧をめくり、戻って 

は読みすすめる。

すると、なんだか本文の文章と注釈の説明が徐々

に合わなくなってきているように感じてしばし

立ち往生状態におちいる。このレベルの学術書を

読み解くには、やっぱりまだ実力不足なんかな

〜、と呆然。


そこで気づいた。いま読んでいるのはまだ序文。

それなのに、注釈は第1章の説明を読んでいたの

だ。序文の注釈はまるまるフランス語? 英語?

での叙述になっていて、無意識に避けたのか、

とばしていたのだ。本文と注釈がずれてては

理解できるわけがない。

名著の誉たかい学術書への挑戦気分で昂まり、す

こしでも前へ足を出そうとして絡まり、躓いてし

まう運動会の徒競走のごとくである。

おちつけジブン…。


distinctio〜〜〜n !





2022年5月18日水曜日

慶應大学構内のカフェで『ジャングル』を読む


アプトン・シンクレアの『ジャングル』(1906)

を読む。

シカゴの食肉加工工場の過酷な仕事。屠殺人の

危険な作業による裂傷、手足の切断。換気設備の

ない作業場に充満する化学薬品、塵芥。積まれた

肉の上に盛られた鼠の糞、鼠の死骸。それらばか

りか、足を滑らし落下した作業員とともに、大樽

の中に混ぜ込まれ、製品として出荷される。

アメリカ資本主義の暗黒部が、これでもかとばか

りに描かれる。

身の毛もよだつ思いで、夢中になって読んでて、

ふと目を上げると、そこは慶應大学の構内。

大学生たちが足取りもかるく行き交っている。

隣りのベンチでは、PC でのリモート会話で

ホームページか何かの依頼打ち合わせ、また

隣では昼食代わりか、おにぎりを頬張り、男子

学生が会話している。

広場では、ジャージ姿の男女が立ち話。

いずれもその振る舞い、仕草になんとなく余裕

がある。身なりもさりげない品の良さでかため、

足元も地味におしゃれなスニーカー。かと思えば

外資系企業 OL かと見紛うほどの、ピシッときめ

たスーツ姿の女性がよぎる。

おお、からだの中心部分から猛烈な劣等感が湧き

出してきたぞ。『ジャングル』の世界が身近に感

じられらるこの身としては、大学生たちの有りよ

うが眩しく羨ましくも、強烈に遠ざけたくなる。

それは遥かな高みにいる若い奴らに対しての、救

いようのない容赦ないコンプレックス。

じくじくと熱い怒りと惨めさの塊、それが吹き上

がり全身を覆いつくす。その時、なぜだか強い悦

びの感覚がやってきた。

そうか、この物語を読むには、この大学構内ほど

ふさわしい場所はないんじゃないか。地獄の生活

を煌めく希望と可能性の世界で読むことほど、強

烈に脳に刻み込まれる体験はないのではないか。

ふひひひひ…、自虐と絶望の体験は、ひとつの

楽しみともなることを知った。


#ジャングル