ウオップパラダイス: 2024

2024年9月16日月曜日

横浜イングリッシュガーデン

 









シーズンではないらしく花の色も冴えな

い。亡くなった母は、なぜか花に詳しか

った。花の名前をさらっと口にするたび

に、ちょっとくやしい思いをしたものだ。

ベンチでひと休み。

目の前に芝生が広がっている。

慶應大学構内のカフェで『ディスタンクシオン』を読む 5


 

それは感覚を麻痺させ、人間を動物に

変える仕事だった。考える時間も、

何かをするエネルギーも残らなかった。

彼女は張りつけられている機械の部品

だった。機械に必要でない体の働きは、

すでに押しつぶされる運命にあった。

この残酷な重労働にも、たったひとつ

だけ救いがあった。──無感覚という

能力を付与してくれたことだ。彼女は

徐々に無気力状態のなかに沈み込んで

いった。黙りこくるようになった。

アプトン・シンクレア

『ジャングル』(1906年)

 

食堂。ようやくの休憩時間。

ゴムマスクを頭から剥ぎとり、長椅子に

へたり込む。前方にテレビ。その前のテ

ーブルには、おにぎりと菓子パン、惣菜

パンが積まれて小山になっている。おに

ぎりを二つ手にする。お茶を買ってぼそ

ぼそ食べる。自販機コーヒーを買って

パンに目をやるが、ついさっき自分の手

にまみれて出来上がったパンかと思うと

なんだか胸悪く、とても手がでない。

休憩中の従業員たちは、それぞれに離れ

て座り、黙ってテレビを見ていたり広げ

た弁当からおかずを口に運んでいる。

だれもが気だるくぼんやりしている。

窓からの陽光があかるくテーブルを照ら

している。工場の前を高速道路がはしり、

その向こうに住宅街が見える。ここは

3階か、4階か。味気ない風景だが、い

まあそこに飛びだしていけたらなぁと

子どもじみた思いに耽る。


二つ前の長椅子に、作業着姿の若いカッ

プルが背を見せて寄り添っている。女性

が、頭をほんの少しだけ男性の肩にかた

むけているのが、じぶんたちの幸せを

まわりに見せつけているようで、微笑ま

しいようなさみしいような気分になる。

はたして二人は幸せなんだろうか。この

先何年何十年、こんな日がつづく。二人

は、休みの日にはお出かけしてたのしい

ひと時を過ごす。おいしい食事にちょっ

としたお酒。そのあとはお休みの日の

最大のイベント、強烈にはげしいセック

ス。浅ましいほどに互いを貪りあう。汗

まみれの裸の二人は生々しい人間にもど

ったことを実感し、気分スッキリ。これ

で100200年の重労働にも耐えられる

のような、はち切れんばかりのエネルギ

ーに充たされる。

そして次の日からはまた機械の部品とな

る。日々が過ぎ、年が過ぎる。

それで充分じゃないか、と思う、他人の

人生なら。

自分はとてもじゃないが耐えられない。

 

どうすればそんな生活からぬけだせるの

か。そんな人生からディスタンクシオン、

卓越した人生に近づくことができるんだ

ろうか。

 

 

 

2024年9月9日月曜日

慶應大学構内のカフェで『ディスタンクシオン』を読む 4


終わった、やっと。
腰から背中にかけて固まったような
筋肉をほぐそうと、のびをしたり前か
がみをしたり、ぐねぐね腰を回したり
していた。野球でいう千本ノックを受
け終えたような、もうその場にヘナヘ
ナと崩れ落ちてしまいたいような気分
だった。
呆然と立ち尽くしているその間にも
長さ7、8メートルほどのコンベア台
をガチャガチャと移動させ、新たなラ
インが組み立てられていく。ラインの
両脇には具材や、クリームやソースと
いった材料が盛られたアルミの箱が
一定間隔で設置される。そしてその箱
にそって人員が配置される。
またすぐ始まるのか、と挫けそうな気
持ちを無理やり奮い立たせ、動き出し
たコンベアに流れてくる材料を待ちか
まえる。
今度は丸く開いたパン生地に焼きそば
のような具材をのせて閉じるといった
作業だった。いちど担当の社員のよう
な人が手本を見せて、「はい、やって」
と促される。作業はかんたんだ。とこ
ろがそのスピードがとてつもなく速い。
ちょ、ちょっと待って。せめて初めは
練習させるつもりの心遣いはないのか。
そんなものはない。パンは容赦なくマ
ッハのスピードで流れてくる。
何度か半分に折る作業が追いつかず、
パンの脇から具材が飛び出す。
「こんなかんたんなこともできないの
?」社員が脇から手を伸ばし、ほら、
ほら、とまた手本を示す。
屈辱。わかってるよ、スピードさえも
う少し緩めてもらえれば。せめて練習
の時間を与えてもらえれば、と胸の中
でつぶやく。
白っぽいパン生地と具材の茶色味を帯
びた色彩が、目の前を次々と流れてゆ
く。まあるい視界の外側からだんだん
と白っぽい輝きが広がってくる。世界
ぜんたいが眩しい輝きにつつまれる。
ああ、失神するのかな、と溺れそうな
胸苦しさの中でそう思った。