シーズンではないらしく花の色も冴えな
い。亡くなった母は、なぜか花に詳しか
った。花の名前をさらっと口にするたび
に、ちょっとくやしい思いをしたものだ。
ベンチでひと休み。
目の前に芝生が広がっている。
それは感覚を麻痺させ、人間を動物に
変える仕事だった。考える時間も、
何かをするエネルギーも残らなかった。
彼女は張りつけられている機械の部品
だった。機械に必要でない体の働きは、
すでに押しつぶされる運命にあった。
この残酷な重労働にも、たったひとつ
だけ救いがあった。──無感覚という
能力を付与してくれたことだ。彼女は
徐々に無気力状態のなかに沈み込んで
いった。黙りこくるようになった。
アプトン・シンクレア
『ジャングル』(1906年)
食堂。ようやくの休憩時間。
ゴムマスクを頭から剥ぎとり、長椅子に
へたり込む。前方にテレビ。その前のテ
ーブルには、おにぎりと菓子パン、惣菜
パンが積まれて小山になっている。おに
ぎりを二つ手にする。お茶を買ってぼそ
ぼそ食べる。自販機コーヒーを買って
パンに目をやるが、ついさっき自分の手
にまみれて出来上がったパンかと思うと
なんだか胸悪く、とても手がでない。
休憩中の従業員たちは、それぞれに離れ
て座り、黙ってテレビを見ていたり広げ
た弁当からおかずを口に運んでいる。
だれもが気だるくぼんやりしている。
窓からの陽光があかるくテーブルを照ら
している。工場の前を高速道路がはしり、
その向こうに住宅街が見える。ここは
3階か、4階か。味気ない風景だが、い
まあそこに飛びだしていけたらなぁと
子どもじみた思いに耽る。
二つ前の長椅子に、作業着姿の若いカッ
プルが背を見せて寄り添っている。女性
が、頭をほんの少しだけ男性の肩にかた
むけているのが、じぶんたちの幸せを
まわりに見せつけているようで、微笑ま
しいようなさみしいような気分になる。
はたして二人は幸せなんだろうか。この
先何年何十年、こんな日がつづく。二人
は、休みの日にはお出かけしてたのしい
ひと時を過ごす。おいしい食事にちょっ
としたお酒。そのあとはお休みの日の
最大のイベント、強烈にはげしいセック
ス。浅ましいほどに互いを貪りあう。汗
まみれの裸の二人は生々しい人間にもど
ったことを実感し、気分スッキリ。これ
で100年200年の重労働にも耐えられるか
のような、はち切れんばかりのエネルギ
ーに充たされる。
そして次の日からはまた機械の部品とな
る。日々が過ぎ、年が過ぎる。
それで充分じゃないか、と思う、他人の
人生なら。
自分はとてもじゃないが耐えられない。
どうすればそんな生活からぬけだせるの
か。そんな人生からディスタンクシオン、
卓越した人生に近づくことができるんだ
ろうか。